結婚紹介室の成婚者の声の一例

クリスチャンカップル誕生までの一例をご紹介します

クリスチャン成婚者の声の一例です

1995年2月 彼は、牧師夫人の紹介で柿谷カウンセリングセンター結婚紹介室に入会。1994年以前に彼女は入会していた。

1995年8月 この半年間、彼はいくつかのお相手から良い返事が得られていなかった。

1995年8月 この月の上旬に、彼は彼女の資料を見て、「この方!」と思った。が連絡することを思い留まる。その後出張先で、間一髪で軽い怪我ですむ交通事故にあう。もし位置がずれていたら重体、もしくはこの文は書けなかっただろう。神の守りがあったことを実感。「この方!」と思った彼女に会ってみたいとの意思表示をした。

1995年10月28日(土)お茶の水で初デート。初めてあったのに、100年の友といった感じだった。

1995年11月18日(土) 彼女の母教会を初めて訪問。特別伝道集会中だった。

1996年3月9日(土) 彼女の誕生日。手作りの品を差し上げる。

1996年5月5日(日) デートで別れるときに、彼女にプロポーズをする。

1996年7月20日(日) 彼は自分の実家へ彼女を連れて行く。

1996年9月28日(土) 彼女の母教会で婚約式。

1996年10月19日(土) 式場を予約する。その日に行われていたカップルの記念撮影風景を見て、半年後はあそこに自分も立つぞと奮い立った。

1997年2月10日(月) 同僚に知られ、うわさが広まり、時の人となる。

1997年4月19日(土) 結婚式

1997年5月2日〜9日  ドイツへハネムーン旅行に行く。

「まさに神様があわせてくださった妻だ。エペソ5章21節からの聖書の言葉は指針を示してくれる個所である。」

(E.M.)

− M係からのコメント −

このカップルは実名を書いてくださったのですが、あえて匿名にさせていただきました。このカップルの辿った道筋を上記のように述べていただきました。最後に引用された聖書の個所からの一部を抜粋します。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」
(エペソ5:25)

以上を振り返ってみると女性にとっては3年かかっています。男性は2年。入会してすぐに相手が決まらないからとあきらめないことですね。

Yさんからの報告です

私が彼と最初に会うまでは、結婚に対してさほど願望はなかったのですが、お見合いをした段階で「ああ、この人とだったら安心してこれからの人生を歩めるだろうなぁ」という印象でした。彼に会ってから、結婚願望が強くなったようです。ですが、東京の西のはずれと茨城ではデートも思うように頻繁には出来ず、月2回会えたら良い方でした。その中でも、私は彼の人柄を知る都度に増してひかれていき、結婚願望は強くなる一方でした。けれども彼はなかなかプロポーズをしてくれず、不安が少しずつつのっていきました。そういう時に私に与えられた御言葉は「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)でした。私は全身全霊を込めて毎日祈り続けました。そして神様は私に恵をお与え下さいました。クリスマス・イヴに彼からプロポーズがありました。付き合い始めて約一年後のことです。もちろん、返事は即答でイエスでした。それからもいろいろありましたが、事あるごとに、私に与えられた御言葉を思い出しては祝福されています。今は、神様を中心に、私と彼とで3人の結婚生活をしています。

(Y)

− M係からのコメント −

Yさんが彼に好感を持っていることは、自然と伝わったと思います。Yさんが彼をせかせたのかどうかは、この文面からはわかりませんが、あせらずに時間をかけることが必要だったようです。肉体関係のある交際には、断られたときの痛手が大きく残ります。結婚までは、どれほど相手が好きであっても、肉体関係は持たないとの決断が男女に必要だと思います。交際中に性関係を求めて来る人には、さらりと「セックスは結婚まではしないことにしているの」と答えることです。そして相手と結婚しても良いと考えているなら、「早くそのような関係になりたいわ」と付け加えることも可能です。こう言っておけば、嫌いで断られたのではないことが相手に伝わります。

ご成婚されたカップルの手記をご紹介します

夫の手記

私は10年程前に、柿谷カウンセリングセンター結婚紹介室に入会しましたが、なかなか御心にかなった人に出会えませんでした。 一時は、センターより離れ、他のところで探したのですが見つからず、もう一度柿谷カウンセリングセンター結婚紹介室に入り直し、現在の妻を紹介され、「聖会」で出会い、意気投合し、その勢いでプロポーズ、婚約、結婚へと到りました。その期間は、約10カ月で神様は私どもと共におられ導いて下さったことを感じました。

(Y)

結婚に到る中で試練もありました。栃木県と静岡県の遠距離、ある種の不足(信仰面、人格面)も感じ祈りました。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」と誓い合った結婚式・・・・。 そして今では、ヤベツの祈りにあるように、 「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて、私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」 この御言葉を胸に秘め今日も妻と二人で信仰に燃えています。

柿谷カウンセリングセンター結婚紹介室のスタッフの皆様の御力にも感謝しています。貴センターを通して多くのクリスチャンホームが起こされることを願っています。

ハレルヤ

(S.K.)

妻の手記

私たちの出合いは、神の恵のあらわれであると確信しています。わたしたちはお互いにGive and Takeでおぎないあい、助け合い、苦しみも喜びも分かち合い、そして神の契約の下で結ばれた二人であると思っています。

私の母は未信者ですが、私が主人に合えたのは、広大な砂漠で小さなダイヤモンドのかけらを見つけるくらいに奇跡的な出合いであると言います。

母はクリスチャンではないのですが、私が独身の時にキリストに「宇宙の中でたった一人でいいから娘を心から大切にしてくれる夫を与えてください」と祈っていたようです。母は主人がイエス様のように私をとても大切にしてくれる様子を見て、私たちの間にキリストがいることを感じているみたいです。

結婚する前と後では大きく環境が変化しましたが、キリストがいつも私たち二人と共にいてくださるのは永遠に変わることはありません。この真理が二人を結びつけているのなら、私たちは何も恐れることありません。本当にキリスト者同士の結婚はすばらしいものです。

主人は独身の時代より食事がきちんとバランスよくとれてうれしいと言ってくれます。私も主人のために主人に合う料理を作るのが楽しく、家の中もお花やさまざまな小物で飾り、常に整理整頓し、きちんと管理するよう心がけております。さまざまな面(衣食住、経済的な面など)で結婚は神の祝福があふれでる契約の体験であると感じる今日この頃であります。

(M.K.)

− M係からのコメント −

お二人の手記を読んで、結婚紹介室の働きの重要性を再確認しました。相手に会ってみても、話がまとまらないことはよくあることです。でもそのような経験をたくさんされている人といない人とでは違いも出てきます。このような出合いをたくさんすることで異性の考え方や、見方や、ふるまい方、価値観等々が分かってきます。こうした経験が最終決断をするときに役立つと思います。

また、年齢が若い方々はまだ余裕がありますが、結婚はいずれすると決めておられる方は早くから登録をされておかれるのが賢明でしょう。年齢がいってから焦るような状態ではうまく行くものも行かなくなることもあります。登録されていない方々で、ここまでお読みになった方々は、まず登録をオンラインでなさってください。登録をすることだけでは何の保証にもなりませんが、結婚に向かって具体的に思考の変容が起こることは確かです。

ご成婚者の声をご紹介します

主のみ名を賛美致します。

1996年8月に柿谷カウンセリングセンター結婚紹介室のご紹介により、私たちは知り合い、1997年2月に結婚致しました。

結婚生活は、お互いの性格や生活習慣の違いから、スタートは難しかったのですが、主が私たちの間にいて下さり、守って下さいました。

主は忍耐に富み、優しく少しずつ導いて下さいました。主の時は完全で、主のなさることは時にかなって美しいとは、正にこういうことなのだなぁと生活の中で感じております。子どもが二人与えられ、私たちにとっては主の愛を学ばせて頂いております。

お互いがそれぞれ主との関係を大切にして、主の麗しさが流れるようになったら、と願っております。

課題の多い私たちです。私たちのために、お祈り頂ければ幸いです。

シャローム

(N. & K.M.)

− M係からのコメント −

お子さんにも恵まれての結婚生活、感謝なことです。夫婦関係、親子関係を良好なものにするために、次の7つの致命的習慣を避けることをお勧めします。

  1. 批判する
  2. 責める
  3. 文句を言う
  4. ガミガミ言う
  5. 脅す
  6. 罰する
  7. 相手をコントロールしようとして褒美で釣る

もっと詳しくお知りになりたい場合『グラッサー博士の選択理論』(グラッサー著、柿谷正期訳、アチーブメント出版)をお読みになってください。

夫の証し

私たちは、初めて会って半年で結婚を決意したわけですが、その最大の理由は、「自分の弱みを見せられる」、「裁かない」というような安心できる関係を築けることがすぐに確認できたことだと思います。私は信仰を持ってから時間を重ねておりましたが、人生の中で色々な悩みを抱えており、それは彼女も同様であったようです。単なる恋愛というよりも、もっと深い部分で触れ合うことが出来たような気がします。

結婚相手を探すことは非常に労力を要することであり、辛いことも経験しますが、いつかきっと実現する日が来ます。神様に対し、「自分は一人では生きていけません。こういう人と結婚させて下さい」と具体的に祈ることが必要だと思います。

結婚して半年が経ちましたが、幸せという思いと同時に、これから二人で手を合わせて作り上げていくものなのだという気持ちでいます。結婚はスタートということです。

クリスチャンホーム建設という決して容易でない目的のために、貴カウンセリングセンターが、教派にとらわれない貴重なご奉仕をされていることに心から感謝をいたします。(夫の証し)

TさんMさんの証し

(T)

私は今から8年くらい前から、結婚をしたいと思うようになりました。教会の周りの人たちは結婚をした人もいるのに、自分はいつになったら出来るのだろう?出来るなら早く結婚したいと思いました。職場には私に相応しい女性はいませんでした。そこで牧師夫人に相談して柿谷カウンセリングセンターの結婚紹介室に入会しました。

(M)

最初の頃は「こんな人が良いな」と、自分の思う条件だけでお相手を探していたのですが、取り次いで頂いてもお会いする前に断られたりで、なかなか出会うことが出来ませんでした。そこで、ある時から、自分から一切の条件をなくして、主の御心だけを求め、「御心ならばどんな方の所へでも、どこへでもまいります」と祈るようになりました。 会員のリストを見る時は、細かいプロフィールは敢えて見ないようにして、「主よ、御心の方を、どんな方法でも、私に分かるようにお示しください」と祈りながら目で追うだけにし、それを毎日続けました。そうするうちに、主からのお導きを感じたと確信できた方には強く目を引き付けられ、そこで初めて道が開かれていきました。

(T)

私は入会してから何人もの方に申し込みましたが、全部断られることが続きました。3年の間上手くいくことがなく、あまりがっかりしたので、もう結婚できないのではと思い、お相手探しを一旦休むことにしました。

(M)

一方、私はいくつかの出会いを頂きましたが、お会いしても上手くいかないことが続きました。気落ちしてしまうこともありましたが、主が、私が望んでいる幸せをご存じであるなら、きっと御心の方がいるはずと信じました。私がたどり着くべき方の所へ続く道は、例えるなら、川の向こう岸に渡るためにたった一つしか橋がない時、どうしても向こう側にたどり着きたいなら、そこを渡るしかないようなものだと思いました。 御心の方にたどり着くまでに、主は、私がなお砕かれて成長するためのいくつかの出会いを下さいました。その方々とは結婚には結び付きませんでしたが、それらの出会いを経て、心から、「御心ならばどんな方の所へでも、どこへでも参ります」と思えるようになった時、ついに導かれたのがTとの出会いでした。

(T)

会員の更新時期が来たのですが、まだ迷って、更新しないままでいました。半年くらい迷って、結婚紹介室でのお相手探しを諦めた方が良いのかと、牧師夫人に相談しました。牧師夫人は、「諦めずに主にお祈りしよう」とおっしゃって、「主が良い女性を与えて下さるように」と、二人で祈りました。私は、「まず、この紹介室で結婚相手に巡り合えるよう祈り続けてみよう」と思い、また活動を再開することにしました。

(M)

その頃、私に主からのお導きがあって、結婚紹介室に問い合わせたのですが、Tは未更新の状態でした。出会いが叶うかどうかは主の御心と信じるほかなかったのですが、なんと、丁度その時、Tが紹介室の活動を再開したのでした。

(T)

私に連絡が来た時は、まず驚きました。自分に会ってみたいという人が突然現れたからです。ずっと断られてきたので、今回も駄目なのかなと思いましたが、私たちは出会うことが出来、幸せな気持ちに満たされてお付き合いを続けました。

(M)

コリント人への手紙第一2章9節「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えて下さったものは、みなそうである。」の御言葉に導かれ、彼は、私が必要としている物事が全て備えられた、私にとって最善の方であると信じました。

(T)

私は、マルコの福音書10章6〜9節「創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それ故、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで。人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」の御言葉のとおりだと思いました。

(M)

最初の頃は「こんな人が良いな」と、自分の思う条件だけでお相手を探していたのですが、取り次いで頂いてもお会いする前に断られたりで、なかなか出会うことが出来ませんでした。そこで、ある時から、自分から一切の条件をなくして、主の御心だけを求め、「御心ならばどんな方の所へでも、どこへでもまいります」と祈るようになりました。 会員のリストを見る時は、細かいプロフィールは敢えて見ないようにして、「主よ、御心の方を、どんな方法でも、私に分かるようにお示しください」と祈りながら目で追うだけにし、それを毎日続け

(T)

私たちは結婚し、望んでいたクリスチャンホームを頂き、出会った時に感じた幸せな気持ちのまま、本当に幸いな日々を送っています。

(M)

この出会いを頂くにあたって、様々な方が心を隣にし、共に祈って下さったことについても深く感謝しています。主にあっての兄弟姉妹の祈りのサポートは大きな力となり、主の恵みを分かち合うことが出来ました。私たちは、これからも主に導かれ、互いに祈りつつ歩んでいきたいと思います。

全ての栄光を主に帰し、イエス様の御名によって感謝いたします。アーメン。

夫の証し

200x年の6月頃、連絡を取り、7月に会うことにしましたが、彼女の心の準備が整わず、eメールでの連絡だけで時が過ぎ、初めて会ったのは10月になってからでした。

その後2回会ったのですが、断りの連絡があり、一旦は終わりになりました。年が明け、2月下旬になって、彼女から「話したいことがあるので会ってもらえないだろうか。」という手紙をもらい、会うことにしました。話の内容から、7月に会うのが10月になったことや、2回会って、彼女が断ったわけが分かりました。

手紙をもらった時、主の介入を感じました。自分の方にも話して、受け入れてもらいたいことがあったのですが、とても話し辛いことでした。けれども、付き合いを再開するにあたり、思い切って話をしました。その後、一年と少し経って結婚しました。 あの時話をして本当に良かったと思っています。核の部分を話してあるので、いろんな話が滞りなく出来ます。タイミングを作ってくれた主に感謝です。それぞれ、イエス様が一番で、相手が二番。ということと、結婚は創り上げていくものだ、という点で一致していて、これからもそれでいこうと思っています。 在主