1. 自分の子どもの性教育は、自分の交際期間に始まっている。子どもにして欲しくないことは自分たちもしない。子どもの模範となる。(テトス2:7)
2. 結婚する前の性関係を求められたら、結婚までは「No」。結婚したらたくさんしようね、と答える。(第1テモテ4:12)
3. 結婚したら性関係を拒否することはしない。自分の体は、相手のもの。相手の体は自分のもの。互の権利を奪い取ってはならない。(第1コリント7:3-5)性関係を楽しみなさい。(箴言5:18 )そのためにも夫婦は同じ時刻に就寝する。
4. 優先順位は親よりも自分の配偶者。子どもよりも配偶者を優先する。神を第一とし、第二は配偶者。次に、子ども。親はその次。(マルコ10:7-8)。しかし、父母を敬うことは実践する。(マタイ19:19)
5. 収入の一部を献げる習慣をつけ(申命記14:22)(マラ記3:10)、お金については双方が納得する取り組めをする。一定の金額を超える買い物については相談する。(第1テモテ3:3)
6. 結婚しても愛の表現を、言葉、触れる、ギフト、サービスの提供、クォリティタイムの共有、で維持する。(エペソ5:28)
7. 互に赦し合う。(エペソ4:32)
8. 怒りの感情を寝室に持ち込まず、その日のうちに解決する。(エペソ4:26)
9. 互に嘘をつかずに真実であることによって、信頼を醸成する。(エペソ4:25)
10, 互の親戚の悪口を言わない。(第1ペテロ2:1)
(柿谷正期、2021.02.17)
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違いについて ~1~
他人との関係性が壊れていく時ってどのような時でしょうか。いろいろ考えられると思いますが、一つには「違いが生じた時」ではないでしょうか。
神様は私たち一人一人をオンリーワンの存在として、それぞれユニークに創ってくださり、高価で尊い!と言ってくださっています。私たちは誰一人として同じではなく、違いがあって当たり前です。ではなぜ「違い」が問題の原因となるのでしょう。
交際期間中は、相手の自分と違う点が新鮮で、そこに惹かれ、素敵!となるのですが、結婚してしばらくすると、少しずつ少しずつ歯車がかみ合わなくなってきます。何が起きているのでしょう。何が変わったのでしょう。
人は誰しもいくつかの基本的欲求をもって生まれてきます。結婚で一番脅かされるのが自由の欲求です。独身時代の自由を手放したくなければ、結婚は諦めた方が良いでしょう。何でも自分の思い通りにでき、誰からも文句を言われなかった独身時代。今は事あるごとに違った習慣や考え方と折り合いをつけていかなければなりません。勢い、相手の存在がうっとうしくなります。そこで「どうして彼(彼女)はそうなんだろう?そうじゃないだろう?!間違ってるよ!」と、相手に変わってほしい、相手は変わるべきだと思い、さらに「私は正しい。間違っている相手を直してあげるのは私の責任である。」と相手を変えようとし、そのことに強い正当性を持つのです。
誰も、お前は間違っていると批判し、変わるようにと非難してくる人と良い関係性を持ちたいとは思わないでしょう。
二人は別々の個性で違っていて当たり前、違っていて素晴らしい!これはどこへ行ってしまったのでしょう、、、
自分の願望に固執して、相手をコントロールしようとする自己中心性が取って代わってしまったのです。まさに私たちの中に巣食う罪の性質です。