”何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい” (マタイ7:12)
黄金律と言われるこのイエス様の戒めには数十年に及ぶ信仰生活の中で幾度となく自己中心的な自分を反省させられたり、又励まされたりしてきました。
けれども、このみ言葉を深く思いめぐらすことは、これまでほとんどなかったように思います。あまりに当たり前で、単純明快なことに思われたからかもしれません。ところが少し前、突然疑問が湧いたのです。
「自分の望むことが、また、他の人も望むことだと、どうして言えるのだろう。自分の望みや良いと思うことを他の人に押し付けることになるのではないか!?」
「自分がしてほしいこと、そしてそれは間違いなく、例外なく他の人も望むものって一体何なのだろう…」と、考え始めました。
選択理論心理学では、良好な人間関係を築く身につけたい習慣の主なものとして次の7つを挙げています。
1.傾聴する 2.励ます 3.受容する 4.支援する 5.尊敬する 6.信頼する 7.違いを交渉する
他にもより具体的なものとして、感謝する、微笑む、許して忘れる、などなど沢山あるかと思います。
そして、これらがまさに、他者中心の「愛」の行為なのだと気付きました。
相手を思いやる愛の心遣いに根差すこういった行為は間違いなく「自分にしてほしいこと」ですし、ほかの人も望むところであることにも疑いの余地はありません。
このイエス様の戒めは「意志的に働きかける愛の行為を相手からしてもらうのを待つのではなく、自分がスターターになってやりなさい」ということではないでしょうか。
私たちの罪の贖いのために、ご自分の命をささげてくださった主の愛の身丈に成長させていただきたく、御霊の助けを祈り求めるばかりです。