幸せをもたらす性の倫理
いのちのことば
幸せをもたらす性の倫理
結婚カウンセリングの専門家は、必ず、と言っていいほど、夫婦関係に関する情報収集の過程で、夫婦の性関係について質問をします。夫婦の性関係が7日前にはありましたと言うのと、7年前でしたと言うのとでは、夫婦関係に違いかあることが分かります。夫婦の性関係は夫婦の健康度を示すバロメーターとも言えるでしょう。
自制(コントロール)の必要性夫婦の性関係について、「熱があって私(妻)の具合が悪くても、夫は性関係を求めてくるのです」というような訴えを妻の側から聞くこともあります。性関係がなくても困るし、こんなあり方でも困ります。これは自制(コントロール)の問題です。未婚であれ、既婚であれ、性欲のコントロールができないまま、幸せになることは難しいことです。
信頼という問題仮にナンパされて、その日のうちに肉体関係を持ったとします。相手は自分を信頼してくれるかどうか。また、相手は信頼できるかどうか。ある調査では、相手を信頼できない、とはっきり答えが出ています。好きだからと言ってすぐに性関係にまで進展するお互いは、お互いを信頼できないという問題を一生かかえることになるようです。ある男性は、結婚式を数カ月後に控えた状況で、彼女に複数の男性関係があったことを知りました。信頼が揺らぐとしても当然です。この人と結婚すると決めていても、相手が破談させるかもしれません。壊れる婚約は半数にものぼると言われています。
親密という問題セックスをすることで親密になれるじゃないですか、と言われることがあります。親密さはセックスをすることで得られるかもしれませんが、その親密さの中身はどうでしょう。その人を本当に知ったことになるでしょうか。聖書では男女のセックスについて、「寝る」という言葉と「知る」という言葉が使われています。夫婦関係では「知る」で、結婚の絆なしの性関係は「寝る」が使われています。デズモンド・モリスは12の触れ合いについて述べています。①目から体、②目から目、③声から声、④手から手、⑤手から肩、⑥手から腰、⑦顔から顔、⑧手から髪、⑨手から体、⑩口から胸、⑪手から下半身、⑫性器から性器。最後の3段階(⑩から⑫)は通常夫婦間のみの触れ合いです。①から⑨までのどの段階が交際中に適切かは、二人の問題です。①はあの人ステキだな、と一方的なもので、②になってはじめて相手も反応して、③で二人は話し合うことになります。交際の開始と見てよいでしょう。③から⑨の間のどこまでが適切かは、二人のコミットメント(決断)のレベルにもよるでしょう。コミットメントのレベルが相違していると、どんな段階の触れ合いにも問題が起こります。注意したいのは、⑤まで行った人は次に会ったときには⑤まで進みたいし、できれば⑤を越えたいと思うことです。⑥まで行った人が③だけで満足することは困難になります。いつも触れ合いを深めたいという誘惑があるからです。自制の大切さがここにあります。若い人たちと関わっていて思うことは、⑫は避けようと思っていても、⑩まで進んで後戻りができなくなって、とうとう⑫まで進んでしまったということがあることです。自分は大丈夫と思っている人は危ない。自分は危ないと思っている人はもっと危ないと言えるでしょう。この領域で絶対に大丈夫な人はだれもいません。
結婚するまではセックスしないと決めておく私のところでは10代、20代の若い女性が、私たちと生活を共にすることがありました。15歳の女性に言いました。「幸せな結婚をしようと思ったら、結婚まではセックスはしないことだよ」。彼女は分かったと言い、母親にもその話しをしたそうです。母親が私に言ってくれました。「私が教えられなことまで教えて頂いて感謝です。先日娘が、『20歳になるまではセックスをしては行けないって先生に言われた』と言っていました。」お気づきのように私の言ったことがそのまま伝わっていません。「結婚するまでは」が「20歳になるまでは」と変わっているのです。これが若者の今の普通の倫理観なのでしょう。私が結婚セミナーをするときに、時にロールプレイをします。ねっ、いいよね、と誘われた場合に、次のように答えるのも一つです。「私もあなたのこと大好きだから、そうしたいわ。でもセックスは結婚まではしないことに決めているの。」相手のことが好きで結婚対象に考えている場合、「あなたが好きだ」という一言は大切です。嫌われていないということをはっきりさせるからです。嫌いでもないのに、嫌われたかと思われるような伝えかたはしないことです。上記のような答え方をして、去っていく男性は去らせることです。結婚してもうまく行くことはないでしょう。自制できない人でも、結婚したら自制できるようになると思いますか? いえいえ。不倫の道にまっしぐらです
柿谷正期